dept24’s diary・生田和良・大阪大学名誉教授

ウイルスの目を通して、人間社会のウイルス感染症についてつぶやきます。

われわれウイルスの眼から見ると:

新型コロナ対策が優先か?、それとも東京オリパラ開催が優先か?

まあ、われわれウイルスからすれば、日本という国はどちらが優先になっても、子孫繁栄に協力的な国だと思うが 

 

 

 

 日本の、新型コロナ対策や東京オリパラ開催の是非に関する最近の話題をまとめると、次のような点に集約されるだろうか。

 

  • 国産ワクチンは、治験が壁となって進んでいない:国から大型予算をもらって(もちろん、治験を含めた開発戦略を示した申請書を専門家が評価したうえで取得していたはず)、開発を進めていた。治験を考えなかったとは言えないはず。国の予算化は、まだほとんど日本には患者がいなかったころで、その時に比べると今は治験が壁とは言えないと思える。が、もちろん、最初から海外での治験も想定していなかったのであれば、本気で開発しようと思っていないのでは、と勘繰られても仕方がない。
  • 朝日新聞の、メディア私評(慶応技術大学の山腰教授;2021.5.14)に「ジャーナリズムの不作為」という言葉が紹介されていた。メディアが報じるべき重大な事柄を報じないことを意味するとのこと。さらに、ジャーナリズムは出来事を伝えるだけではなく、主張や批判も担うそうで、主張すべきところを主張しない場合とか、議論すべきところを議論しない場合も、この「不作為」に相当するそうである。そこで、東京オリパラの開催について、主流メディアがこの開催の是非について議論を尽くしているとは言い難い、と述べている。そもそも主要メディアは、コロナ対策として自粛自粛と強く呼びかけ続けており、五輪開催を明言できない状況を自ら作ってしまっている。
  • まず、何よりも政府、地方自治体、それにそれぞれの専門委員会の、対コロナ対策として、「自粛し、うちにとどまることを求め、外では飲食店(最初はパチンコ店であったが)はじめ、飲み屋街、デパート、さらには美術館や博物館、それに劇場までも閉鎖、もしくは営業時間の短縮など」、なにもかもしてはいけないことばかりで1年半が過ぎている。「一丸となって・・・します」「きっちりと向き合います」など精神論ばかりで、具体的な対策を伝えることなく、自粛を要求され続けてきた。こんな状態が続けば、投げやりにもなってくる。「もう少し我慢しよう」とか「頑張ろうか」という気にさせる発言が皆無である。厳しいことを言っておかないと、状況が悪化した時に非難の矛先が自分たちに向かってくるだろうと、その点ばかりを気にしながら、日々過ごしておられるのではないかと推察している。「一日も早く安全な状況を作りたい。また経済的に苦しい状況を、いつまでも継続させるわけにはいかない」、という信念からくる発言ではなさそうに思える。