dept24’s diary・生田和良・大阪大学名誉教授

ウイルスの目を通して、人間社会のウイルス感染症についてつぶやきます。

新型コロナワクチン接種が進行中です:ファイザー社とモデルナ社の製品ですが、どちらもmRNAワクチンです。どういう原理のものなのか簡単に解説します。

 医療従事者に次いで、高齢者へのワクチンが始まった。それぞれの自治体で接種が進められているワクチンはファイザー社製で、大規模接種会場で進められているワクチンはモデルナ社製のものである。どちらもよく似た仕組みのワクチンである。

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新型コロナウイルスの細胞内侵入様式とmRNAワクチンを細胞内へ送り込む様式



 このワクチンはナノ粒子と呼ばれる脂質の膜の中に、新型コロナウイルスの表面の突起のたんぱく質(スパイクたんぱく質)を作ることができるmRNAを封じ込めたものである。この膜の中に包み込むことで、壊れやすい不安定なmRNAを安定にしている(ただし、超低温で保存する必要がある)。 

 

 新型コロナウイルスも、表面は脂質の膜で包まれている。スパイクたんぱく質はこの膜に突き刺さる形で突起状の構造をしている。

 

 そもそも、ウイルスは宿主細胞に感染し、その中で子ウイルスが大量生産される。細胞の中で作られた子ウイルスは、その宿主細胞の膜にくるまれて細胞の外に放出される。細胞の膜が脂質の二重の膜で構成されているので、当然であるがウイルスの膜も同じ構造をしている。mRNAワクチンも、そのような構造によく似た脂質の膜構造をしている。

 

 細胞の外に放出されたウイルスが、次の宿主細胞を求めて浮遊し、次の細胞に感染するときは細胞の二重の膜と、自らの脂質の膜が一体化(膜融合:同じ脂質どうしなので容易に溶け合う)し、中のゲノムが細胞の中に侵入する。これが、感染の初期段階のステップである。

 同じように、ナノ粒子にくるまれたmRNA、ナノ粒子と細胞の二重膜が一体化して、中のmRNAが細胞の中に送り込まれる。新型コロナワクチンは、これまでのインフルエンザワクチンなどの皮下注射とは異なり、筋肉注射である。したがって、筋肉細胞と細胞融合し、筋肉細胞の中へ入ったmRNAの遺伝情報に基づいてSたんぱく質が作られる。作られたSたんぱく質はその筋肉細胞の表面の二重の膜から外に向かって突起状の構造を作る。この状態のSたんぱく質を免疫細胞が異物と認識して、Sたんぱく質に結合できる抗体を大量に作り始める。同時に、このようなSタンパク質はキラーT細胞という、感染した細胞ごと破壊できる強力な免疫作用も誘導できる。

 

 これまで、このような中和抗体(血液中に溶けているので、液性免疫と呼ばれている)と、キラーT細胞などの、強力な免疫反応である細胞性免疫は、弱毒化した生ウイルスを用いる生ワクチン(麻しんや風しんのワクチンなど)でしか誘導できなかった。今回のmRNAワクチンは、生ワクチンとほぼ同じような効果が期待でき、有効性が大変高いものである。

 インフルエンザワクチンは、発育鶏卵で大量に増やしたインフルエンザウイルスをきれいに精製し、ウイルス表面の脂質の二重膜をエーテル処理で溶かし、そこに突き刺さっていたウイルス表面ヘムアグルチニンというたんぱく質新型コロナウイルスのSたんぱく質に相当する)をワクチンに用いている。この場合は、自らの細胞の中で作られたウイルスたんぱく質ではなく、ワクチンとして接種したものなので、細胞性免疫を誘導することは難しく、液性免疫の中和抗体のみが作られる。したがって、有効性もそれほど高いものは期待できない。

 

mRNAワクチン #Sたんぱく質 #ナノ粒子 #中和抗体 #キラーT細胞

今朝の朝日新聞から:米国の感染症対策を担う米疾病探索センター(CDC)が新型コロナについて検討した意見として「手洗いは必要だが、清掃や消毒はあまり重要ではない」と

 街中で、誰か(ひょっとして新型コロナウイルスに感染した人?)の飛沫がついたドアノブやエスカレーターの手すりなどに触れた手で、目、鼻や口の粘膜に触れることで、新型コロナウイルスに感染するリスクがあるといわれ続けてきた。

 しかし、その接触感染リスクについて、米国のタフツ大学が、マサチューセッツの街中で、人々がよく触る場所にウイルスがついているのかを調べた結果、ほとんどウイルスは見つからなかったという。一番多かったのは、ごみ箱のふただったそうである。触ったものから手、そして口などの粘膜に触って本当に感染するのかについても解析しているが、ほとんどなかったそうである(推定値は100万分の2.2)。

 

 このように、接触感染のリスクはほとんどなさそうである。電車のつり革とか手すり、スーパーの買い物かご、エレベーターのボタン、エスカレーターの手すり、机など、あらゆるところで消毒されている風景が馴染みになっているが、どうもほとんど必要がなさそうな意見のようである。

 ただ、まったく接触感染がないわけではないので、1日1回ほどの清掃と消毒を実施すること、そして普段の手洗いは必要である。石鹸をつけ、20秒がめやす。

 

 ここからは私の意見である。日本では、飛沫感染のリスク(専門家の皆さんのご意見は、このリスクがほぼ100%かのよう)について、最も重要視した注意喚起が行われている。しかし、これだけユニバーサルマスクが徹底しているわが国においては、この飛沫感染もほとんど考えられないと、私は思っている。ただ、感染した人からは、喉や肺にウイルスがいる時期よりやや遅れて長期間、便にウイルスが排出されているという研究がある。したがって、トイレでは飛沫感染接触感染、両方のリスクがある。流すときはふたを閉め、便座はきれいに保つことが勧められる。

 

 このように、わが国では、接触感染と飛沫感染はそれほどのリスクはなさそうと考えていいのではないか。特に、エアロゾル対策として、換気の重要性についてはやや疎かになっていると考える。例えば飲食店や飲み屋街などでは、営業時間短縮の要請などよりも、徹底した換気対策(CO2センサーを用いて、密の数値化を行い)の必要性について、もっと啓発を行っていくべきではないだろうか。

 

本ブログでは、ウイルスの眼を通して、人間社会の新型コロナの状況を見る

「ウイルスの眼を通して」  vs  「人の眼を通して」

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ウイルスの眼を通して

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人の眼を通して

 

 ウイルスは、感染した宿主細胞に子孫ウイルスの産生をお願いする立場である。まず、子孫ウイルスを作るための遺伝情報(ゲノム)を送り込む。そして、たくさんの子孫ウイルスを産生してもらい、その子孫ウイルスを人間社会に放出させる。これが人間社会に様々な混乱を巻き起こすトリガー(引き金)になっている。

ほとんどの記事は、新型コロナウイルスによるパンデミック状況を述べている。それは、それぞれの国によって異なっている。当然ながら、人間の立場からの状況である。

 

 本筆者は長年ウイルスのことばかりを考えて、ウイルスの立場で物事を進める仕事に携わってきた。したがって、どうしてもウイルスの眼を通して、物事を見る癖が身についてしまっている。自分たちが送り出した子孫ウイルスがどのような状況を生み出しているのか、ウイルスの側に立つと、人間社会はどのように映っているのかとの思いで、このブログを書いている。もちろん、それぞれの国でかなり違って見えると考えられる。

 そこで、本ブログでは、時に、そのようなウイルスと人間がこの人間社会で織りなすパンデミック状況を、ウイルスの眼を通して見た感想を記事にしている。

ウイルスになったつもりで読んでいただければ幸いである。

 ウイルスは、ただ自由気ままに子孫ウイルスの繁栄だけを考えていると思われる(もちろん、実際にはウイルスが考えているはずはない)。自身のゲノムがRNAであることを良いことに、でたらめに(ランダムに)あちらこちらにゲノムの読み間違い(コピーミス)を起こしている。その結果、コピーミスゲノムをもらった子孫ウイルスの多くは滅亡していった。ところが、中にはそのコピーミスが幸いし、より多くの子孫ウイルスを作ったり、より感染しやすくなったりしたウイルスがのさばるという結果になっている。

しとしと ぽつぽつ ざーざー 「雨が降っても降らなくても、コロナでほぼ同じ過ごし方だ」

緊急事態宣言。不要不急の外出不可もぅうんざり、でもまだ延長の声が!えっ、いつまで?

 いつの間にか梅雨入りで、毎日雨ばかり。新型コロナウイルスの感染者数や死亡者数で、大阪は東京を上回る日が続いていた。しかし、緊急事態宣言でやっと感染者数はわずかながらも減り始めてきた。これは、「お上の言われることは忠実に守ります」という、従順な大阪の人々のおかげ?

 いやいやそんなことはないだろう。確か、2019年の麻しん(はしか)大流行時には、人口の多い東京よりも大阪の方が患者数は多かった。日本は、2015年3月27日に、世界保健機関(WHO)西太平洋事務局から、「麻しん排除国」と認定されたのである。もともと日本にあった麻しんウイルスによる患者が発生しなくなっていたから、排除国として認定されたのである。ところが、世界にはまだ麻しんが流行している国があり、それらの国との往来で、わが国に麻しんウイルスが持ち込まれたり、日本人がそのような流行している国に出かけて感染し、発症前に空港の検疫を素通りして持ち込み、その後は次々とこの輸入した麻しんウイルスによる感染が、日本国内で広がっていく。

今回の新型コロナウイルスの変異型もイギリス株、ブラジル株、南アフリカ株、インド株と、いずれも海外で発生したものが持ち込まれた、もしくは持ち帰られたという、いわゆる「輸入ウイルス感染症」の典型であろう。関西地域では今やほとんどが、このような変異型のウイルスに置き換わっているようである。その割合も東京よりもかなり多くなっている。関東人が、関西人よりもこれら変異型のウイルス株に感受性が低いわけはないだろう。とすると何が関西で広がりやすい原因となっているのだろう。

1つは、関西人が関東人よりもマナーが悪いのではないかと、麻しん流行の2009年の時は思っていた。今回の新型コロナに対しての緊急事態宣言下では、関西では外出する人の割合が大きく下がったらしい。ということは、関西人もマナーが良く、お上の言うことをよく聞くようになったのか。それとも、新型コロナウイルス、特に変異株に感染すると、基礎疾患のない健康な若者でも容赦なく重症化するという情報があふれるようになり、さすがの関西人も怖くなったのか、はたまた自分の身は自分で守るしかないと自粛に徹したのか・・・

結局、理由はわからないが、あまり言うことを聞かなさそうな関西人が、このコロナ禍で出歩くのは止めて、家でおとなしくしているのではないかと思う。

感染者数は、かなり減ってきたように思うが、専門家たちは「まだまだ、もっともっと減らなければ」と。ウイルスが広がるのを抑えることだけを考える立場なので、当然、自分たちに非が及ばないためにも、大声で「まだまだ」「出歩くな、雨が降ろうが降らなかろうが、用もないのに出歩くな」というご意見のようだ。そう、緊急事態宣言がさらにさらに延長されそうな気配である。

今週のお題「雨の日の過ごし方」

われわれウイルスの眼から見ると:

 いろいろな新型コロナウイルス変異株を生み出しているが、実はこれらは失敗作である。親の遺伝情報を読み間違え(コピーミスし)て、子孫に伝えてしまったものである。

 しかし、それが人間社会に大きなダメージを与える結果となり、われわれウイルス側としては子孫繁栄にマイナスに働いている(取り付いた宿主の致死率が高くなりすぎると、2002~2003年に人間社会に送り込んだSARSのように、われわれ新型コロナウイルスも人間社会から消えてしまいかねない)。

 ところで、今や従来のウイルス株か変異株かを判別する検査が、最優先事項になっているのはどうしてか?大変なマンパワーと検査代(税金?)がかかっていると思うのだが・・すでに、すべての陽性例で行き届いた隔離・治療が行えなくなっている自治体があるという。

 このような「やってますアピール」に費やしているマンパワーや予算は、そろそろ他のことに振り分ける時ではないだろうか?

 

 まず、ワクチン接種によって、新型コロナウイルスに対する抗体が作られる。そうすると、ウイルスはその抗体を躱すことができる子孫ウイルスのための遺伝情報(ゲノム)を生み出すことになる。もちろん、それらはウイルスが研究を重ねて生み出すわけではなく、ただひたすら感染を広げて子孫繁栄を繰り返す中で、たくさんのコピーミスを生み出し、その中にたまたまワクチン接種で誘導された抗体の圧力を躱す(ワクチンを効かなくする)コピーミスの子孫が存在し、それが次々と子孫繁栄を繰り返すようなことが現実に起こるかもしれないのである。

 このようなワクチンエスケープ変異を起こしたウイルス株が優勢になると、対新型コロナウイルスへの最強の武器だと確信していた、よく効くワクチンが役に立たなくなってしまう。ワクチンエスケープ変異を起こした株が優勢になると、このような株に対するワクチン株を新たに開発する必要がでてくる可能性がある。

 

 なので、現在のワクチンに対するエスケープ変異株がどのようなものになるのか?についての研究と、そのような株に対するワクチンを新たに開発することを急ぐことも重要で優先すべき事だと思うのだが・・・。

 

 

 

 

 

 

 

われわれウイルスの眼から見ると:

 いろいろな新型コロナウイルス変異株が出現していることで、政府や地方自治体などの行政機関は、変異株かどうかをどの程度検査できたかをについて競争しているように見える。ところで、何のためにそんな検査が最優先事項になるの?変異株が優勢になってることがわかると、何か決定打となる秘策を持っているのかな?

 ここまで変異株が蔓延してしまっては、その検査をいくら頑張っても、今さら止めることはできないだろう。今、誰もが望んでいること、それは「ワクチン接種のスピードアップ!」

 いつもながら、日本という国は不思議な国だなと思う。われわれウイルスからすれば、本当に助かっている。われわれの、どの変異株が優勢になっても、子孫繁栄に協力的な国だと思う。  

 

 そもそもウイルスは生き延びるため、また子孫を増やすため、自身を増やしてくれる宿主細胞が必要である。

 新型コロナウイルスは、最初に自身の粒子表面に突き出ているスパイク(S)たんぱく質が、細胞の表面にあるACE2という分子(受容体)に結合して、感染が成立する。この後、ウイルス粒子の中に存在している遺伝情報を細胞内に押し込み、子孫ウイルスの産生段階に進む。

 

 そこで、Sたんぱく質を合成できるmRNAワクチンとかアデノウイルス(運び屋ウイルス)ベクターワクチンを接種することで、期待できる免疫誘導は、このSたんぱく質に対する免疫である。このような免疫(抗体など)が誘導されると、ウイルス表面のSたんぱく質に結合し、ACE2に結合できなくしてしまう。

 したがって感染を阻止できる(感染防御可能な)ワクチンということになる。完全に感染を防御できなくとも、侵入してきたウイルスが、次々と細胞に感染して子孫ウイルス粒子を産生するのを抑えるので、重症化を抑える効果が確認できることになる。

 

 

 変異株というのは、最初に武漢で発生した新型コロナウイルスが次々と子孫ウイルス増やしながら広がっている間に、子孫ウイルス用に合成した遺伝情報のコピーミスの結果である。このコピーミスは、遺伝子のいろんな場所で起こるのである。現在、新型コロナウイルスで問題にされている変異株は、このSたんぱく質に関するコピーミスが反映されたものである。

 一方のワクチンは、最初に武漢で発生した新型コロナウイルスのSたんぱく質の遺伝情報をもとに開発されている。したがって、あれから1年半もの間、進化と退化を繰り返した結果として、いろんな国で現れた話題の変異株のSたんぱく質に、どの程度効果的に反応できるかということになる。

 

もちろん、現在のワクチン戦略は、核酸ワクチンとかベクターワクチンと言われているもので、変異株対応のワクチンも次々と作り始めることも可能ということである。

 イギリス株やブラジル株など、既知の変異株に対するワクチンの開発がすでに始められ、治験まで進んでいるというのが、今の世界の状況である。ただ、常にわれわれウイルスが先を行くことになるので、人間は悔しいだろうな。

 

 

 

われわれウイルスの眼から見ると:

新型コロナ対策が優先か?、それとも東京オリパラ開催が優先か?

まあ、われわれウイルスからすれば、日本という国はどちらが優先になっても、子孫繁栄に協力的な国だと思うが 

 

 

 

 日本の、新型コロナ対策や東京オリパラ開催の是非に関する最近の話題をまとめると、次のような点に集約されるだろうか。

 

  • 国産ワクチンは、治験が壁となって進んでいない:国から大型予算をもらって(もちろん、治験を含めた開発戦略を示した申請書を専門家が評価したうえで取得していたはず)、開発を進めていた。治験を考えなかったとは言えないはず。国の予算化は、まだほとんど日本には患者がいなかったころで、その時に比べると今は治験が壁とは言えないと思える。が、もちろん、最初から海外での治験も想定していなかったのであれば、本気で開発しようと思っていないのでは、と勘繰られても仕方がない。
  • 朝日新聞の、メディア私評(慶応技術大学の山腰教授;2021.5.14)に「ジャーナリズムの不作為」という言葉が紹介されていた。メディアが報じるべき重大な事柄を報じないことを意味するとのこと。さらに、ジャーナリズムは出来事を伝えるだけではなく、主張や批判も担うそうで、主張すべきところを主張しない場合とか、議論すべきところを議論しない場合も、この「不作為」に相当するそうである。そこで、東京オリパラの開催について、主流メディアがこの開催の是非について議論を尽くしているとは言い難い、と述べている。そもそも主要メディアは、コロナ対策として自粛自粛と強く呼びかけ続けており、五輪開催を明言できない状況を自ら作ってしまっている。
  • まず、何よりも政府、地方自治体、それにそれぞれの専門委員会の、対コロナ対策として、「自粛し、うちにとどまることを求め、外では飲食店(最初はパチンコ店であったが)はじめ、飲み屋街、デパート、さらには美術館や博物館、それに劇場までも閉鎖、もしくは営業時間の短縮など」、なにもかもしてはいけないことばかりで1年半が過ぎている。「一丸となって・・・します」「きっちりと向き合います」など精神論ばかりで、具体的な対策を伝えることなく、自粛を要求され続けてきた。こんな状態が続けば、投げやりにもなってくる。「もう少し我慢しよう」とか「頑張ろうか」という気にさせる発言が皆無である。厳しいことを言っておかないと、状況が悪化した時に非難の矛先が自分たちに向かってくるだろうと、その点ばかりを気にしながら、日々過ごしておられるのではないかと推察している。「一日も早く安全な状況を作りたい。また経済的に苦しい状況を、いつまでも継続させるわけにはいかない」、という信念からくる発言ではなさそうに思える。